猛暑が続いていますね。私は寒いのが苦手でしたが、最近からだが大きくなったこと、そしてこの猛暑、「冷房がきいてる~」と冬大好きになりました。
なので、屋外でお仕事なさっておられる方には頭がさがります。
私の好みはさておき、身体はいつも同じ状態を保とうとします。
これを「恒常性(こうじょうせい)」といいます。
こうも暑いと身体もいつもと同じように保とうと、ご自身の意識外でせっせと働いています。
せっせとでは追いつかないでしょうね。
ガンガン働いているに違いありません。では、そんな自分に何をしてあげたらいいのか?
それは、「寝ること」です。暑い日は、とにかく早く寝ていただけるとご自分の身体孝行になりますよ。そして、「やる気」も回復します。
今回は、ちょっと余談にはなりますが、SEXの歴史を紐解いていきましょう。
ネアンデルタール人とヒトは10万年前にSEXしていた?
欧州の研究チームによると、発掘されたネアンデルタール人の骨から見つかったヒトDNAの痕跡を分析した結果、異種交配は10万年前から起きていたことがわかりました。
これまでは、ヒトが初めてネアンデルタール人に遭遇したのは、ヒトがアフリカ大陸からほかの地域に移動し始めた約6万年前だと考えられていました。
しかし、シベリア・アルタイ山脈の洞窟で見つかった女性のネアンデルタール人の骨を遺伝子解析したところ、ヒトのDNAが含まれており、10万年前に混血が存在したことが明らかになりました。
現代人類には、ネアンデルタール人由来のDNAが存在し、免疫システムや病気へのかかりやすさなど、様々な側面で影響を及ぼしていることが最近の研究で明らかになっているようです。
仮にヒトが10万年前にネアンデルタール人と性交していたならば、ネアンデルタール人はアフリカでは発見されていないので、ヒトとの接触はアフリカ大陸以外で行われた可能性が高いとされています。
約2万8000年前のディルドは石でできていたそうです。
ディルドとは男性器(陰茎)をかたどった器具の呼び名です。ドイツのホーレ・フェルス洞窟で石のペニスが発見されました。世界最古のもので、約2万8000年前のものと推定されています。
その後、柔らかさと暖かさを追求するため、レザーのさやで覆われたものが発明されたそうです。
古代ギリシャ時代
古代ギリシャの医学書には「性行為は健康に良い」という記載がいくつも見受けられるそうです。
また、アテネの法律には、すべての女性が男性とカップルになることに異常にこだわった条文まであるそうです。
考古学者のコンスタンティノス・カパリスの論文には、「男性のペニスには単なる快楽の道具ではなく(快楽も恥じることではないが)、健康な生活を送るために必要なものだった」とあります。
古代ローマでは人々は石けんを使用せず、身体に油を塗りつけ、金属製の「肌かき器」で、汗や汚れをこすり落としていた。
貴族の女性たちはそれぞれ、好みの剣闘士に熱を上げていたため(今で言うオシメン?)、好みの剣闘士の体に塗られた油を買い求め、保湿剤や潤滑油としてしようしていたそうです。
西暦300年まで、ローマ帝国には45の売春宿があった
あまりに人気なため、夕方になるまで営業できなかったそうです。もし午前中に営業していたら、皆が仕事にも行かず、売春宿に入り浸っていたかもしれません。当時のローマでは、売春は完全に合法で、男性もサービスを提供していたそうです。
ある時点の統計調査によると、ローマには3万2000人のセックス労働者がいたといわれています。最寄りの売春宿の方向を示す「道路標識」もあり、男性器の形をしていたそうな。
18世紀のロシア女帝エカテリーナ2世やロシア大公女アンナ・レオポルドブナ(皇帝イヴァン6世の摂政)といった高位の女性たちは、性的な刺激を得るため、フルタイムの足裏くすぐり係として、女性または去勢された男性を雇っていたそうです。
くすぐり係はひわいな物語を朗読し、夫(あるいは愛人)と盛り上がるための手助けも行っていて、それが高報酬だったそうです。現在のアダルトビデオの代わりでしょうか?
ビクトリア朝時代、女性の「ヒステリー」は深刻な問題とみなされていました。
(抑圧的な家父長制の社会で権利を認められていなかった女性たちが、不安、短気、神経質などの症状を抱えていたようです)
医師たちは、「指を使った骨盤マッサージ」を行っていたそうです。
日本の歴史はいかに
「万葉集」や「源氏物語」に書かれているように、奈良時代、平安時代の貴族の恋愛や性行動はかなり奔放だったようです。また、日本には太古の昔より混浴文化があり、鎌倉時代の温泉には、温泉客相手に性的サービスも行う「湯女」が登場します。日の落ちた公衆浴場は「性の社交場」でもありました。
戦国時代
戦国時代の兵士は、合戦の数日前より女性との性交渉が禁止されていました。
当時は女性は穢れたものであるという迷信があり、縁起を担いだもので、体力を消耗するという理由ではなかったようです。また、当時は梅毒が大流行し、深刻な問題でした。
豊臣秀吉や加藤清正なども死因は梅毒ではないかとする説もあるとのこと。
その中でも徳川家康は、病気に対する予防意識が人並み以上に高く、梅毒が性交渉によって感染することを正しく理解し、むやみな性交渉を控えたといわれています。
江戸時代
日本人の性に対する感覚は比較的おおらかで、井原西鶴が好色物語を書き、春画や遊郭など性産業も隆盛を極めました。中でも、俳人小林一茶は日記に、毎日何回性交したかを記しています。そして晩年になっても毎日のように性交をしていたことがわかっています。
こうした事実から、日本人は伝統的にはセックスに寛容で楽しんでいた民族だともいわれています。
まだまだ、よもやま話はありますが、このあたりにしておきますね。
※当店は風俗店ではございませんので、最後に念をおさせていただきますね。
著:相徳かおり
こんな記事もおすすめです!
勃起はどのようにして起こるのか?(勃起のしくみ)